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山田孝雄・国語学史要・岩波全書.pdf

2010-02-07 00:28:06
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タグ: 山田孝雄 国語学 うわづら文庫
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山田孝雄は1958年没。

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スライド1: 書 全 波 岩要 史     學 語 國雄 孝 田 山轡店 書 波 暑

スライド2: 一,.篳「鱒幽-量茎曝屋琴ζβて=卩「誉老卑'夢

スライド3: 再刷 の 辭 この小著が世の異常六寵遇を得た事については、こ丶に深く感謝の意を表します。それにつけても誤腕の少くたいことを恐縮してゐます。こ丶にそれらの誤腕を取り敢へず訂して再刷に附しました。これについては直接間接にそれらを教示せられた諸氏叉萬葉假名遣の元祿版をわざ/\惠與せら処た岡田翼氏に篤く御禮を申します。昭和十一年四月三日山 田 孝 雄「、●:凋

スライド4:  もー   蓼  ー  z  r  一ー…」…ーー…冫ε孟柔謄竃.ぞ・-ー}3皇即

スライド5: 自序自序 私は國語學史の名を冒して學者の傅記や、著書や、若くは學詭の臚列に絡ると、いふやうな事をしたくないと李素慰つてゐる。又私は歴史は文化發展の跡を説くものだといふ通論には疑をもつてゐる。文化といふものは自然現象では無い。文化は人間の努力に基づくものであるから、努力が正當である時には文化は發展するであらうが、その努力が不當であり、若くは努力を怠れば、文化は或は蓑へ、或は亡び7.、しまふ。歴史はそれ故に發展のあとだけをたどるべきだとはいはれない。この點に於いて私は通読と異なつた見解をもつてゐる。 私は國語が國民全般のものであるに闢せす、國'語の學問が一般國民と殆ど交渉も無いと・いふ姿であるのを慨く。私は又自國・」いふ意識を忘れがちな人々が國語に對して極端な破壞思想を胸中に藏してゐるので無いかといふことを思ひ、戰懍を禁じ得ないのである。さりたがら、かやうな事になつてゐるのは國語學といふものについての正當な認識を缺いてト』霜、「

スライド6: 、;」ーー;自 ゐる爲であつて、その責任の孚は我々の上に存するものであらう。私は國語學が國民の精 神生活の活動の結果生じて、かやうになつて來たものであることを確信してゐる。さうい序 ふ事が若し本書によつて多少なりとも世人に知られ、國語學に封する一般人の興味を少し でも惹くことが出來るならば著者の本懷とする所である。  この書は國語學史としてば眞にその名の通り要を摘んだだけのものである。私は大正十 隼に一の國語學史を編し、その後時々多少の補訂を加へて來た。而してその要をとつて日 本大學、東北帝國大學に講じた事であつた。本書はその稿本から要點を抄出したものであ るが、これには枝葉の問題をすて丶大綱をあぐることを主眼とした。   この書には現代の國語學の批判を加へない。國語學史はもとより現代についての批剿を も下さねばならない時代が來るのであるが、今はその時期ではないから、省略した。しか しながら古からの國語學の由來を明らかにする時は冥冥の間に嚴正な批判を下し得るに至D るであらう。大…體から、いふと、今万5ワ國語學といふものは明治め中頃に四洋の言語の學問が 輸入せられて來てから、それらに論く所の理法に國語をあてて論かうといふのが圭眼にな  つてゐると思ふ。所が、これについては二の難點がある。一はわが國語は西洋の言語と性一

スライド7: }自序質も歴史も違ふからして、西洋の言語の理法をそのまエあてて論いて見ても正鵠に中らない點があり、又西洋の言語に杢く見えたい現象もあるから、國語の學問として、隙間だらけのものである。西洋蝓入の言語學といふものは、言語一般の理法を論くもので、文明の言語も野蠻の言語も一様に取扱ふべきものであり、又一國の語などに拘泥するものでは無い。この一般の理洪が國語學者をして反省せしめた功が無いとはいはれないが、それに心                                                    ヘ  へ醉したあまり、國語の國といふ意識が殆ど無くなり、ただ言語といふ意識のみが跋扈11vてゐる。それが爲に、今の國語の學問といふものの多くは實際上、國家を捨象した學問の姿になつてゐる。これが他の一の難點である。かやうな事に基づいて今の國語學界はすべてとはもとよりいはないが、無統制主義、便利圭義、機械觀などの跋扈するやうな姿になつてゐて、國語の基が國民精紳にあること、叉國語そのものが國民精榊の貴重な賽庫であるといふやうな重大な點が、殆ど顧みられないで、破壌的の言論がはびこつてゐる。思ふに鶴峯戊申が無謀な企てを目本文法の上に加へ`てから、・穩健な折衷文典を得るまでに六十年を費した。しかもその餘弊が、百年後の今日にまで及んで、容易に稍えない。西洋の言語學が輸入せられてから今や四十年を過ぎてゐて、なほこの有樣では心細い事である。わが,,閾

スライド8: …Lまー……}「自序國民が西洋の言語學の無理な桎栴から脆して眞正の國語學を得るにはなぼ幾年を要するであらうか。しかしたがら、これはただ年數の問、題ではない。われわれ國民が、國語に對して正當な認識を得るやうに正當に努力するか否かによりて決せらるべき問題である.、それにつけても國語の眞髓をつかんでわが國語を救濟オる昭和の馬場辰猪の出現を望んで止む能はざるものである。4昭和十年三月十日山田孝雄識■{

スライド9: 次       目一二三四五六七八九十  目  次國冠…學史の音義及び態山貰奈艮朝時代の文獻に見ゆる當代の國語意識:倭名類聚鈔の出現歌學の興起と國語字書の出現假名の發生、音通 説の出現と五昔の圖の成立約音、略語、發語等の論定家假名遣手爾波大概抄及び切字の論語の類別井に用言の活用の認識:・:・:・:・姉小路式及び共の系統のてにをは研究憙i≡ 嚢 全 玄 垂 圀 一 五 _≒貫

スライド10:  次目十 十 十 十 十 十 十 十八 七 六 五 四 三 ニ ー馬 鶴 義 鈴 本 富 釜 契場 峯 門 木 居 士 軒 沖辰 戊 よ 朗 宣 谷 、 及狢 申 り と 長 成 白 び及 よ 富 本 及 章 石 そび口語法の研究り中根淑、みへ槻文樫∵廣蔭、權田直助居春庭及びその後びその後の係結研、眞淵の語源研究の後の假名遣研究彦に至に至るの川言究 及び倭る の研究訓栞九 六     七 四     四     ご.  ○     〈     六     三珪へ 五 九 六 く 三6

スライド11: 一 國語學史の意義及び態度廣態 び及義意の史學語 國 ここに國語學史の要領を述べようとするに先だち、考へねぼならぬことがある。國語學史はいふまでもなく、國語學の歴史であるからして、先づ國語學とはどういふものであるかを明かにする必要がある。 國語學は國語を研究する學問であることはいふまでも無いが、よく考へて見れば、對象たるその國語とは何か。又その國語を如何樣に研究するものであるかと、いふ問題がある。國語とは文字のままにいはば國のことばといふことであるが、これには一定の意義があつて、國民が、自國の語をさしていふ名口であるから、われノ\のいふ所の國語は日本國の語といふ意味であることはいふまでもない。所で今の日本國を見るに、國民として國籍を有する人問の用ゐる言語はさまざまである。北にはアイヌ語、オロツコ語等を用ゐる人があり、南には支那語系統の語を用ゐる人があり、又朝鮮語は頗る多くの人に用ゐらるる。これらの語を用ゐるものも日本國民である。かやうな譯であるから、日本國民の用ゐる言1』  一一噛 囁』 ..鰡  『臼

スライド12: 度態び及義 意の史學語 國語がすべて國語であると簡箪にいふことは出來な、い譯である。そこで國語とは何ぞやといふことが、先づ問題になるのであろ。 我々の國語と認むるものは日本帝國の中堅たる大和民族の思想發達井に思想交渉の要其・しして使川しつつ在り、又使川し來つた言語をいふのである。この國語はこれを簡單にいへば、日木國家の標準語と、いふことである。 (ここに私のいふ標準語といふ名目は、國家の統治上、公認して標準と立ててゐる言語といふ意味で、今の…世俗にいふ所とは意味が違ふ^)世俗にいふ標準語といふ意味は誤つてゐるのであつて、あれは中央語といふべきである。) 國語學の研究對象とするものはかやうな意味での國語である。凡そ、國語といふも              へのは歴史的就會的のもの郷丶歴史を離れては理解が不十分になり、瓧∵曾を離れてはその客觀性を失ふといふ關係を有するものである。それ故に、從來の言語の研究は主として過去の言語を樹象として起つたものであることは東西共に同じ現象である。ところが、後にはそれが反動として現在日常翔ゐる語のみを以て研究對象とするがよいといふ論が起り、それが爲に古代の言語の如きは死語であるなどといつて、これを無視せうとする傾向が生じた。しかし、この二者はいつれも極端に走つてゐるもので、國語學としては過去の語にも2「 

スライド13: 一棲態 び及義意 の史墨 語國現在の語にも偏つてはならぬものである。叉現今翔ゐる語といふことについても現代の國語學者の間に往々僻論.が在る。それは口語のみが生ぎた國語であつて、文字で書いたものなどは重きをたくに足らないとするやうな意見である。これは交化といふ重大事實を無靦して、野蠻人の言語を標準とした謬見であつて、文化を有する國民の聞には害有つて釜なく、存立せしめてはならぬ僻論である。凡そ、文化を有する國民に在つては言語は口と耳との聞に授受せらるるに止まるものではなくして、交字により、文章として、盛んに用ゐられ、これにょつて、各般の交化的事實が、絶えない進展をなすこととなるのである。今、若し、丈明沚會から一切の文字文章を奪ひ去つたならば、その交化は忽ちに浩え失せて、野蠻の境に陥ることは明らかであらう。文字文章を無靦するものは文化を訊ふものである、特に文語はわが國に在つCは公式の語として之を.尊重せねばならぬものであることは事實上明白である。それ故に口語も文語も共に生きた國語として國語學の對象として'の價値には甲乙の無いものである。次に問題とたるものは、その口語と口すべきものにも中央の語と目すべきものがあり、各地方地方にはそれぞれの方言があり、又祉會の差異、職業の差異等によつて、それらの問に特殊の通用語がある。これらも國語の範圃に存ずるものであ.。ん誥『":,

スライド14: :駒:θ度態ぴ及義意 の史 墨語國る。さて叉、國語といふものはその語を用ゐる個人の言語であることは勿論であるが、それは個人任意の産物ではたく、枇會共通の意識を基礎として著しく客觀性を有するものであるが、その客觀性は亦著しく歴史的性質を有し、殆どすべての語はいつれも歴史的制約をもつてゐると云つても差支ない程のものである。 以上の如く、國語學の醤象は日本帝國の標準語たる國語で、口語、文語を通じ、古語、今語を通じ、中央語、地方語を通じ、一切の事實を包括すべきものである。帥ち、これら國語の諸の事實を包括的に研究するものが國語學である。而して、それが學問である以上、これは知識のただの集積に止まつてはならないものであつて、それらの知識が統制せられて軆系を有するものでなければならぬことはいふまでも無い。 次に考ふべきはこの學問の口的である。國語を學ぶといふことは種々の目的で行はれうるであらうが、嚴密な意味での國語學は國語の研究、その事を直接の目的とするものでなくてはならぬ。或る他の目的の爲に國語を研究するが如きものは純粹の國語學とはいふことの出來・ないものである.、その國語の研究を直接の目的とする、この學問はその性質として國語に存するあらゆる事實、あらゆる現象を觀察し記述しで丶それらの事實、現象の底4

スライド15: 曜度態 び及義意 の史學 語國に流るる理法を探究することを目的とするものである。 國語學といふものは大體、上述の如きものであるが、ここに、もう一つ論及しておくべき點がある。我々のいふ國語學は口本國の標準語を研究するものであるから、この國語を如何なる人が研究しても我々はこれを國語學といひうるかといふ問題がある。西洋人でも、支那人でも、わが國語を研究することはもとより差支無いことであるし、叉事實上西洋人がわが國語を研究したその業績も多少存するのである。かやうな場合、これを國語學と稱へて差支ないか、どうかといふことが一の問題である。西洋人のわが國語を研究したそれは西洋人の立脚地からいへば、日本語學といふに差支はあるまいが、國語學といふことは嵩來ぬ譯である。それ故に國語學といふ語を嚴密に規定するならば、日本國民たるわれわれがわが國語として日本語を研究した時にはじめて國語學といふ名目を附けるべき竜のであつて、外人がわが國語を研究しても、それを國語學と名つくることは外人としては首肯せぬであらうし、われ〜丶もこれを以て國語學と名つくることは出來ない。しかし、そのの結果が見事なものであるならばわれノ\は外人の研究だからと云つて毛嫌する必要が無いので宜しくそれを採用すべきものである.、しかし、それはわれくが採用しない限 、5

スライド16: 囁」…「 …ーーー騨葦乳ーーー事ー度態び及義意の史學語國どこまでも國語學といふ名口でよぶことは遠慮すべきものである。要するに、國語學といふ名口を用ゐる以上、日本國民の問に起つて、日本國語を學問的に研究した結果そのものをさすのでなければならぬものである。 さて、かくの如ぎ意味の國語學といふものが全然過去に無かつたものであるたらば、國語學史といふものは無意味のものであらう。又それが過去にあつたとしても現代の國語學との問に歴史朗の關係が無いものたらば、これ亦、國語學史といふものは無意味のものであらう。さりながら、多少なりとも過去に於いてそれらの研究が行はれた事があり、それらと現在の國語學との問に雁史的關係が在るとする時には國語學史といふ一の學問の存在するのが當然の事となるであらう。 學問の歴史と炉ふものは或る點から見れば先進の苦心の跡をたつねて、再び同一の辛苦を繰返すといふ徒勢をしないやうにする用意に供せらるる點もあるといぴ得るであらう。叉過去から現在にかけての研究の+へ勢を知り膀來の指針を示す利釜があるとも、いひうるであらう。しかしながら、さやうな功利的な口的の爲に國語學史が存在するものであるとは考へられぬ。一般に學術皮の研究といふものは上のやうた功利的なH的を主として行はる6 

スライド17: 蟹態び及義意の史學語 國るものでは無くて、それ.日鶻が學術上の價値を有するものであるが、國語學史も亦明白に國語學のうちの一部門として存在すべき使命を有するものであつて決して他のものの方便では無い。卑近な詞で論明すれば、現在の國語學は要するに過去の研究の集積であると云つてもよい點があらう。しかしたがら、それはその業績が有機的に適切に整理紐織せられた結果か、若しくはそれらを有機的に整理組織せむとしつ玉ある努力、若くはそれらを基として、その上に加へられてある努力であるともいひうるであらう。それ故に現在の國語の學問を正當に認讙するが爲には國語學史の智識が無くてはならぬものである。たとへば、「用言」といふ名目、「形容詞」といふ名目、「上二段活用」などいふ名目の如きでさへも、その文字やその通常の意味だけではわかるものでは無いのである。一般に文化的の事實、文化的の現象といふものはその壓史を知り、その理由を明かにしなければ、正當な認識を得らるるものでは無いのであるが、國語學も亦歴史的文化の産物であるから、それらの正當の認識を得むが爲にも國語學の歴皮を知らねばならぬものである。かやうに考へてみると國語學史は國語學のうちの一の重要な部門であつて、決して國語學の方便として存すると、いふやうな.低級.なものでは無いといふ事がわかるであらう。8畠} ・  .一 子凵 ゴ「 ・ ・

スライド18: 売…帥…:度態び及義 意の史學語 國 しかしながら、國語學史の目的は上述の點に止まるものでは無い。これについては上に 8述べた嚴密な意味での國語學といふことを顧みる必要がある。それは事實上、わが國語學はわが國民の閇に自發的に起つたものであつて、外國の學術の移植でも無く、模倣でも無いといふ著しいこの事蹟を考へてみることを要するのである。わが國に甞て行はれ、叉現に行はれてゐる多くの學聞のうちで外國からの移植でも無く、又外國のまねでも無く、わが國民の問から自發した學問を求むれば、その數は多くはあるまいが、恐らくはこの國語學がその著しいものの一であらう。この意味から見れば、國評學はわれく國民が自國の語に封して行つた自…覺反省の結果であるといはるるであらう。隨つて國語學の歴史は國語に對して國民が行ひ來・つた自覺反省の展開のあとを見るといふことになるであらう。この見地からすれば、國語學史は單に國語學の歴史といふだけでは無くして、國民が國語に對して行ひ來つた自覺反省の描寫であるともいふことが出來ようし、叉わが國語學史は國民の精紳的生活の歴史的展開の一の相を投影せしめたものといふべきである。 國語學史は要するに一種の歴史であるからして歴史としての一般性質を且ハふべきことは勿論であるが、學術の歴史に於いてその材料となるべき基礎的封象は學論である。然るに、…

スライド19:             借國        史 或      素の    義悪    及虫び葭∫その學読はもとより或る學者の論く所であるから、それを読いた學者も亦重要な研究對象となるべきであらうが、しかし、その中心點は、その學論にあるのであつて、その學詮をなした源としてはじめて學者そのものにも歴史的價値を見るのである。かやうにして國語學史も亦それらの學論とその學読をなした學者とを研究の對象とすべきものであるが、學論と學者の傳記との臚列だけでは歴史にはならぬことは明かである。苟も學術史である以・上、その封象たるものが如何なる學問的特質をもつてゐるか、又それが如何なる展開の過程に立つかといふことを論かねばならぬが、ここに學術史研究の態度について一言する必要を感する。墨術史の研究に於いては第一にその學的系統を明かにし、第∴にその學的展開の道をさぐり、かくて史的展開のあとを明かにするのを日的とするものであるが、それが學問である以上、その史的展開のあとを髏系的に組織立てて示さねばならぬものであらう。さてその研究の方法については或はその學者を圭とする方法もあらうといふけれども、要するに、目的は學問の展開の姿を觀察する點にあるから、その學論を主眼として論じなければならぬものであらう。而して或る學説については縱にはその由來を明かにすぺきで勘るが、横にはそれがその時代の相及び同時代若くは先代の學説と如何なる交渉が在つたゐ..戸3 .唄「尻

スライド20: 度態 び及義意の 史學語 寓か、叉同時の他の學問學者若くは學論と如何なる交渉が在つたかといふやうなことも委しくは議せらるべきものである。 かやうな口的を以て行はるるこの學問は最初には先づ、過去の文獻について、それを在るがままに正しく靦ることからはじまるものである。この過去の文獻といふものが無ければ、歴粟の研究の基礎が無いのである。その文獻について正しく覦よといふが、それはそれに記された學論の本意をさとることを最初の手績とする。その本意をさとるといふことはそれに墓「ついて、その本性、特質をさとり、同時に價値の批判を下すべき基礎を得ようとするのである。この時にその本意を正しく理解し得ない場合には誤つた歴史的評價をする虞があるもので、さやうな例は斷に世に出で葱國語學史の上にも存する。しかも、この場合に於いて、われくは現代的の智識を以てその批判の規準とすることをつ玉しまねばならぬ。ここにその批判に關して一般的の用意を論くべき必要を感する。凡そ我々が學問の歴史を研究する場合、その研究對象たる所の學者若くは學説に對して批判する場合には二樣の見地からして觀察し批判しうるものである。その一は學問上の絶對的價値の批制であ9、他の一は歴典的價値の批判である。絶樹的價値とはその學論が眞理としてそれ自體一

スライド21:  に有する學術的の價値を、いふのである。雁史的價、値とはそれが或は前を承け、或は後を導、 く所の史「的展開の過程の上に有する價値をいふのである。事實の如何によつては絶對的、偵 植が高いけれど、歴皮的價旭の著しからぬものがある。國語學典上でいへば、富士谷成章丶〜 の業績の如きがその著しい例である。又絶對的價値が乏しいけれども、歴史的價、値の著し、 いものがある。本居宣長の御國詞活川抄の如きがその例である。ここにわれくはこの二 樣の見方を如何樣に取扱ふべきかを一考すべきである。絶對的價値のある業績は尊いもの であつて、これを無親しては學術皮の必要が全然無くなる。けれどもそれをただ並べただ けでは歴史にはならぬ。ここにわれくはそれら絶對的價値あるものを探求して以てそれ らの出現及び影響などの經路を正當に認識せねばならぬ。かやうに學的展開の經過を正當 に認識するが爲には絶對的價値は乏くても歴史的價値に富めるものが史的展開の過程を明 鞴 かにする必要上、學術史の上に重きをたすことになるのである。ここにわれくは絶對的史加 價値の乏しいものでも、歴史的價値の黌かなものを見出すのである。かやうにして、はじ義 めて我欧は先逹の成した研究のあとを正営に顧み、時代の特質を明かにし得るであらうし、吸び態度 かくして、過去より現代に及んだ國語研究の史的考察の目的を達しうるであらう。1.Q..鬮

スライド22: 帥…度態 び及義意の史學 以上は、私がこの國語學史を詭かうとする一般的川意を明かにしたものであるが、ここに、私は、一般に歴史といふものの本意について有する根本的の疑を表明しておく必要を認むる。一般に歴史といふものは人生の進展する姿を説くもののやうに考へられてゐるやうである。然るに、私は文化といふものが時代を追うて必す進歩するものであるとは信じ得ないのである。それは何故かと、いふのに古代に於いて高度の文化を有した國民が亡びて、その文化がそれと共に淌滅した例は少くない。文化が必す進化するものであるならば、かやうな事は在るべき道理が無いのである。叉わが國に於いても、古代に存した交化が、中頃亡びた例は少く無い。それ故に私は文化は決して進化ばかりするものでなくて、退化もするものであるといふ信條をもつてゐる。それ故に歴史は必、丁進展的過程を論くものであるといふことであるならぽ、私はそれらの歴史的信條を有する一切の人々に對してその點に於いて反對を表明するであらう。然らば、さやうに文化が進化し又は退化するのは何に基づくかといふに、それは要するに人々の努力に基づくのである。その努力が正當に行はれた時に文化が進展し、その努力が誤つて行はれ、若くは努力が、行はれなくなれば、文化は退歩し若くは滅亡するものである。かやうな事柄は國語學史の上にも存する。たとへ写2

スライド23: 度態 び及義意 の史學語 國ば、鎌倉時代のはじめ頃に起つた五十膏圃の「オ」「、ヲ」の所屬の混亂が定家似名潰をして「た」「を」⑳判定を濫にせしめ、萩原廣道が、本居宣長の「はも徒」の係の「徒」の嶽を誤つてから百年許人をしてその眞意を誤らしめ、,鶴峯戊申が、「はも」を圭格としてから今日に至るまで人をー.ワてそれらを主格の助詞として誤らしめてゐるやうなものである。さや・うな譯であるから、われくの國語學史はただ、進歩のあとだけを辿るのでは不十分である。かやうな退化のあとをさぐり、而してそれらが、何によりて、再び、正當な認識を囘復しうるやうになつたかといふことをも見なければ眞の歴史とはならぬものである。 わが國語の研究が嚴密な意味での學問として成立するに至つたのは契沖の研究からはじまるものであると一般に認められてゐる。それ故に普通の國語學皮は契沖からはじめらるる。しかし、契沖の研究も實は契沖一人の力によつてあのやうに成立したものでは無くて、從前行はれたものにより、それを改めたり、訂したりした上に施されたものであるからして、その以前に全く國語の研究が行はれなかつたわけでは無い。そこで、この史要はその史的展開を知らうとする爲に契沖以前にも溯つて研究するであらう。然らば、それはどこまで溯るべきであらうか。これにつきて考ふべきことは、先に私が云つた所の國語學皮の,韈

スライド24: '度態 び及義意 の史學語 國口的の他の一、即ち國民が國語に封して行つた自覺反省の跡をたどると、いふ點である。國語學といふものが國民の國語に對する自覺反省の展開の結果が學として組織せられたものとする私の見地からすると、その史的發程はまさに國語に對する國民的自覺の起つた時におくべきものといはねばならぬ。それ故に、この史要はその國民的自…覺の起つた時を以て史的研究の第一歩とするであらう。さうしてそれから契沖に至るまでの經過をたどるであらう。これまでは貫の學的研究は未だ起らたかつた時代であつたから、それを或は國語學前史といひ、契冲以後を眞の意味での國語學史と云つてもよいかも知れない。しかし、叉、   の契沖とても國語學といふ一括した學問を組織した譯でも無いから、要するに五十歩百歩である。それ故に私はかやうな區劃を設くることは必要が無いと思ふ。さうして、ここに論する所は歴皮であつて、現代の評論では無いのみならす、現代については公正の評論を下すことは困難な事情に逢ふものである。それ故に現代以前に筆をさしおくべきであると思ふ・ここに入としては大槻文彦氏まで、事項として口語法研究の端緒を開いた所に筆を擱くことにする。 ここにこの國語學史についてなぼ一言すべきことは外國人の日本語研究がこの國語學史叉1

スライド25: 意 瀰 の代當 るゆ見 に獻如r騰 朝良奈に研究對象として入ツ⇔ぎであ・らうか.しいふことである.現代の國蟹が・それら外國人の研究の業績によつげ.霾を営る禁あるとすれば、もと吉そ農國語量の勢對象となるべ尋モある..但し、われーが知ら裔に我タ蕪關係にかれらがわが國語斎究したからし、云つで、そ染、貌ーと沒交渉である閥はわれーにはその勃㈹識さへも.無いの鴪、あるか靂謁の關係などは無いのである.それ故に・私はさやうなものはわが國箪史に繰り入ろΨベホ媛因縁をもたぬものと認むる.しかし奈ら・多少奮とも因禁生じてく甃、それは黌の藷として論かねばならぬもの妄・今・私が・上の如く時代を限つて見ると、殆ど一も蜃鴆係をそれ毛に告たもの寛ないから・それ、らをし。り人れて鵬す奩。理集無いのである。しかし、衾の國語學の開展に箪的關係を有すること少からぬことにならう。     二奈白籟時代の文獻に見ゆる當代の國語意識.」.」に吾人は先づ、本邦馨の纛にょりて當時の國民の國語に對する自識の度を禦琉;徊、r.、囎、「-

スライド26: 「rー識 煮語國の代當 るゆ見に獻:文の代鴫朝 良奈せうと欲するのであるが、奈良朝以前の文獻はその傳はつてゐるものが稀で、これらの事實を徴するに足るものが殆ど無いと云つても可い程である。それ故に、ここには勢主として、奈良朝時代の文獻について觀察し、その以前のものにして、自然、觀察の標的となるべきものがあるときには併せて論する事とせう。                          センミヤウガキ 吾人のこの目的よりして最初に注日せらるべきものは所謂宣命書にあらはれた國語意識であると考へらるる。宣命書といふのは古の詔勅の國語で宣言せられたものを漢字で記載したもので、その書式が略董一定の法式によつてゐるものである。その概略をいへば、大.體について、觀念をあらはす語部ち體言副詞井に用言の本幹は大字を以て書き、用言の活用、複語尾、助詞の如きを小字で書くといふ記載の方式である。この方式の記載法は紡H本紀に於、、いて宣命を書くに用ゐられ、爾來宣命はすべてこの方式によつて記載することになつてゐるので宣命書といふ名目も後には生じたのである。績日本紀に載せてある宣命の書式はその書の編者の考案ではなくて、當時の實際のま丶を登載したものであらうと思はるることは、現に正倉院に藏せらるる営時の宣命案の實物に徴しても明かである。又延喜式の説詞盗宣命の一種と目すべき竜ので、同じくこの形式をとつてゐるが、それに因み、 

スライド27:   一般に宣命及び靦詞は後世に至るまですべてこの方式によつて記載せらるるのである。  かやうな方式の書き方が何時頃に生じたであらうか。績凵木紀にある宣命はその第」が 噛交武天皇御即位の詔であつて、今日はこれよりも古い宣命を見ることが出∵來ないのである が、恐らくは宣命は交武天皇の時にはじまつたものではなくて、その起源はこの時よりも 古い時代にあつたものであらう。口本紀の中に漢丈で記された詔勅の中にも、もとはこの 宣命書の方式であつたものも在つたであらうが、日本紀編纂の際に漢文に改められたもの も少くは無かつたであらう。しかし、今はさやうな推測を止めて、現存のものについて.説、奈撒くべ耄あるが、彼の甕蚕の宣命苦誕日本紀編纂より竿四五年朶三+餘僻 年前に草せられたものである。の獻宣命書の實地につど」の研窪私孀に施してゐるが、その瀟はここにあぐることは鼎 出來ないから、大綱をつまんで述ぶる。御礑  用言に於いては先づ形容詞に就いて見ると、語幹を大字に活用の部分を小字にしたもの耐竊が多いけれども、また意              oQ識   天皇朝守仕奉事顧奈伎人等爾阿禮波  (第十三詔)          畆17

スライド28: 識意語國の代當 るゆ見に獻夕 の代時朝良奈の如くすべてを小字にしたものもある。この場合には「ナキ」を補助語と思つたのであらう。動詞に於いても大體同樣であるが、その問の規律は形容詞よりも稍亂れてゐるかの如くに見ゆるが、それは複語尾の分出したものに多ぐ見ゆる。動詞では又「マス」「タブ≒タマフ」「マヲス」といふやうな敬語を小字にしたものが少くない。これらもその敬語を補助語と兄たためであらう。存在詞では先づ「あり」では大字小字まちくであるが、                             む  乾政官大臣仁方敢天仕奉倍伎人無時波本…久置弖在官爾阿利  (第背六詔)          む ハ   共仁孝者百行之基奈利 (第五+九詔)の如く「爾阿利」「奈利」を小字にしたものがある。かやうにしたのはそれらを補助語と見た爲であらう。            ル   シム  ム   ム   ニ   ズ   テ    ベシ さて複語尾に在つては「所」「令」「欲」「將」「不」「不」「而」「可」等の漢語から直接に借用した字を川ゐる時には次のやうに大字を書くけれども、                何乎・怨志岐所止志弖加鉄{將.{馮   (筑牛十八詔)それを萬葉假名で書く時には小字で書くことが例となつてゐる。その例              む          紳我.天祕地祗乎傘伊左奈比天必成奉无  (策十五詔)】3 

スライド29: 識意語國の 代當 るゆ兄 に獻夊 の代時朝良奈然るに叉、             む    む  從今往前爾小過毛在人仁所率流止之所聞波  (第卅五詔)  む               む    む  不言伎辭母言奴不爲岐行母爲奴   ひ第十七詔)                   受被賜持且不忘不失可有伎表等之互  (箪十詔)の如く、一の複語尾を示すに、共の意義を刑ゐて漢文のかきざまで大字を以て記し、その漢文式のかき方の下に途假名の如くその語尾の音をば萬葉個名で小字に書いたものがある。この方式はこの宣命書の發生を考ふるに頗る重要な點があると考へらるる。          ノ    ト    ハ 次に叉助詞の類は「之」「與」「者」の如く漢字の義によつて借用したものは大字で書いたけれど、その他の場合は小字にした。又接尾辭の「多知」の如きものも小字にした。 以上蓮べたやうな次第であるから、嚴密にいへばもとより國語の、語の性質を十分に認識したとはいはるべきことではあるまいが、大體に於いて主要語と補助語との儼別を知り、叉觀念をあらはす部分と言語操縱の方式の部分との厩別を認め、又刑言の活用と語幹との匿別の存することを略識り得たといふべきである。かやうな方式を案出したそのはかめは既に述べたやうに明かには分らぬが、その案出した頃には既に、國民の間に、これを行つ;  、  醒

スライド30: , 圏,「≒「識意語國の代當 るゆ見に獻 文の代 時朝 良秦たに相當する程度の國語に對する自覺があつたもの・、」思はるるのであるが、この自覺は何に基づいて起されたものであるか。私はその自覺を誘ひ起すに至つた機縁が何であらうかといふことをここに探り試みようと思ふ。                                 ノ     ト     ヘ                                     ノ ここに先づ考ふべき事は他のすべての助詞が小字で書かれてある問に「之」「與」「者」の三字だけが何故に大字で書かれてあるかと、いふことである。惟ふに、この三字は共に漢文の助辭で、その意義はわが「ノ」「ト」「ハ」・」いふ助詞と一致する點の存するものである。而して「與」が國語の「ト」として用ゐられてある場合を見ると、助詞の「ト」に多くの意義用法の在るうち、ただ「ト共脚この意をあらはす場合にだけ用ゐられてゐる。而してその「ト共二」の意は漢文の助辭の「與」の義にあたるものである。それ故にこの三字は漢文に本來用ゐられてあるによつて漢文と同じく他の字と同じ大さに書いたものと思はるるもので、その漢文の中に類似の字が無くて、杢く新に漢文をよむ爲に附加しなければならぬ性質の助詞は小字で書かれたものと考へらるる。 次に、複語尾について見るに、 これも大體は小字で書いてあるのに、その「將」「不」「而」「可」等漢字に存するものぱ大字で書いてあるコ而してその場合には漢交の方式によ20 

スライド31: 一識 蕊 膕 の 代當 るゆ見 に獻夊 の代臣鈩朝良奈つて書いてあるのである。それ故にこれらも亦かの助詞の場合と同じく、本來漢文の中に用ゐられた文字の在るものは大字にし、漢文の中に類似のも.のが無くて、全く新に加ふべき性質のものをば小字でかいたものであると考へらるるのである。しかも、その上に、なほ考へてみるべきことは、その漢文の方式で書いてある場合に、上に例をあげたやうに、その複語尾に該當する音を示す字をば逡假名と同じやうにその下に加へ、一は意を示し、一は昔を示し、二者湘合してその複語尾の意と普とを全くする用を爲したもののあることであるが、これは純然たる漢文の訓點の方式を轉用したものと云つてよいものである。. 次に用言の中、敬語に屬するものを小字で書くことが多いが、これも「給」「賜」「奉」など漢字の意義を用ゐるものは必す大字で書く。又「して」「ごとし」「せり」「なり」の類を往々小字で書いてゐるが、これらはどういふ譯かといふに、これらも亦上の助詞複語尾に關して行はれた圭義によつて考ふれば了會せらるる所がある。」即ちこれらの多くは漢文をよむ際にその漢文として用ゐられてある以外に別に附け加へてよむべき語として往々用ゐらるるもので、それらの事は今日でも行はれてゐる事實である。この點から見れば、古代に於いても、かやうな事實が行はれたもので、その方式が宣命書の上に姿をあらはしたもの21.}嘲、

スライド32: 」雲…….…ー○識意語國の代當 るゆ見に獻夂の 代ロ期 良奈と考ふることが出來「るであらう。 かやうに考へてくると、宣命書の中に往々盤言をも小字で書いてゐることの理由をもさとることが出來よう。たとへば、亀                            今乃勅乎承用與先仁詐大勅止稱天在事乎承刑流己止不得止云天 (第二大詔)の「己止」の如きも亦本の漢文になくても、その訓み方によつては往女加ふる广」とのある語であるから、かやうに書いたと考へらるるのである。かやうに蓼の事嬉考へて見れば、用言の活用を或は書き或は書かぬ事も、叉かの漢文のよみ方を示す場合に往春することであるから、それに準すれば.莊亦ワ亅曾しうる所であらう。磐述べて來た所を綜合して考ふれば、この宣命書の大字弘、変、し・の書き分け方は漢文の訓讀法に大きな關係を有するものであると推定せらるるのであつて、之集として考へて見るのでたければ、了豊得ない點が少くない。かやうに考へ♂・くると、かくの絮刺戟を與へたものは漢文の訓讀であハ・たと考へなければならなくなるからむて、次には當時の漢文訓讀法について考へてみることにする。22{

スライド33: 識 意語 國の代當 るゆ見 に獻 夊の代貯朝 良奈 今日の漢交の訓讃法は一種の爰協法であつて、その文章を漢文の形のまま保存・ー.之をよむには國語の法式によつたものである。かやうな方式を案出したものはたに人であるか、今日からして明かに知り難いとは思ふが、その起源は頗る古いものであらう。さうしてその訓讀に用ゐる特種の方法は當時の國民の國語に對して有してゐた或る種の認識或る程皮の認識を示すものであるといふことが出來るであらう。よしや、之を按出した込、のは國語に封しての明確な自識が在つてした事で無いとしても、その國語に對して或る意味での自覺の存したものと推定するといふことは必すしも無理なこととはいはれたいであらう.、 漢籍がはじめて本邦に輸入せられた當初は、假りに漢字の一字一字をば、めが一語∵譜にあてて譯したとしても彼に在つて我になく我に在つて彼に無、いといふ語が在つたに疑ぴはない。而して彼是有無の相違が觀念語の上に止まるものであるならば、彼に存して我に無い語はそのまま借用するか、若くはかが語を幾つか集めて飜譯するかなどの事で・どうにか處置をすることが出來る譯であらうが、彼我の言語の性質の霾異から生する語の方式の弟異になると、上逑のやうな簡單た手績ですますことが出來ない。さて、その言語の性質の弟異から生する方式的の差異の主たるものは第一に語の配列法の差異、第二に川言の23.一9

スライド34: 〜「職 意語國の代當 るゆ見に獻タ あ代 時朝 良秦活用の有無、第三に助詞助辭の有無の差異である。第二の語の配列法の差異は我れらの祗先は漢文の形を原丈のままにしておき、之を讀むとき、その文字を或は飛び越え、或は跳ね返りなどして國語の配列法の順序によつて讀むといふことを按出した。第二の活用の有無は漢語にも用言に該常する語があるから、それらをばわが用言にあててよんだのであらうが、彼に存在しない部分即ち活用及び複語尾はその必要に應じて加へてよまねばたらぬことは、いふまでもたい。第三の助詞と助辭との問題は漢文の助辭の或るもの、たとへば「ノ」に似た「之」、 「}こ「ヲ」に似た「於」、「ト」に似た「與」、「ハ」に似た「者」の如きものはこれをあててよむことも出來るが、さやうなものにあつても語の配列の上からいへば、著しく違ふもので、轉倒してよまねばならぬものである。叉著しく性質の違つたものは彼になくして加へてよまねばならぬものも多く、又彼の助辭の「焉」「矣」の如きものは國語には譯しうべき語は全くないから讀ますにおくより外に方法が無い。以上の事柄は現今の漢文のよみ方の上にも存するものであるが、それの起源は頗る古いものと考みる。その證はそれらの漢丈の訓讀によつて傳へられてゐる用語なり又語法たりの中には奈良朝・若くはその以前のもので無ければ、ならぬものがあるのでもわかるのである。もとより漢24 

スライド35: 農識 意語國の代當 るゆ見に獻 夊の代時朝良奈支の訓讀法にも古來多少の變遷が在つて今日の訓讀法は古來のままのものでは無bが、根本の主義は古今を通じて一貫してゐるのである。 さて立ちかへつてこの漢文の訓讀の爲に漢字に添へてよまるる國語の方式的部分は古來捨假名などと稱へらるるやうに假名を以て示したものであるが、その假名といふものは漢字渡來以後漢字を屡使川した結果、腕化して生じたものであるから、嘗初から捨偃名の在つたもので無い事はいふまでも無い。然らば假名の生じなかつた以前に漢文の國讀が無かつたか、或は又假名の發生をまつてはじめてその訓み方が發明せられたかといふに、宣命によつて推定したやうに決してさうでは無くて、恐らくは假名の發生以前からしてそのよみ方は存したものであらう。さうしてそのはじめは、口より簿へられたものであつたであらうが、さうかうしてゐるうちに、之を目に訴へ、記載して傳へようといふことも按出せられたであらうとも思ふが、假名の發生以前に按出せらるべき方法としては萬葉假名即ち漢字を音字に假借してそのよみ方を旁注する事であつたらうが、それらの實例は→葉朝初期、の儒佛の書に往女見る所である。しかし、叉別にその他の方法で之を示す