スライド1: 「良いたよりが [ まず ] 宣べ伝えられねばならない」とはどういう意味ですかこれは、終わりの日のしるしについて語られた中の、戦争、食糧不足などの「苦しみの始まり」と言われた後から「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」についての言及の間に語られた言葉で、少しずつ表現は違いますが、マタイ、マルコ、ルカの3福音書に共通する内容です。そして、「良いたよりが [ まず ]…」という表現はマルコにだけ出て来ます。それで先ず、マルコの記述に注目して見ましょう。■(マルコ 13:9‐13) 「人々はあなた方を地方法廷に引き渡し,…わたしのために総督や王たちの前に立たされるでしょう。彼らに対する証しのためです。10また,あらゆる国民の中で,良いたよりがまず宣べ伝えられねばなりません。11しかし,人々があなた方を引き渡そうとして引いて行くとき,何を話そうかと前もって思い煩ってはなりません。何であれその時に与えられること,それを話しなさい。あなた方が話しているのではなく,聖霊が話しているのです。…13そしてあなた方は,わたしの名のゆえにすべての人々の憎しみの的となるでしょう。しかし,終わりまで耐え忍んだ人が救われる者です。」「まず」と言うからには、関連した事柄とその優先順位があると言うことです。そして、
スライド2: 「福音の伝達」が先だということです。では、何に対して、「まず」なんでしょうか。つまり「その次」になるのは何でしょうか?例えば、生計を立てるための仕事、就寝、食事、あるいは、趣味、に用いる時間や体力(よりも) 伝道 でしょうかあるいは、「滅びの音信」や「家族生活の知恵としての神の言葉」など聖書中の他の内容の話題(よりも) 福音 でしょうか。この答えを出す前に、これら三福音書のこの聖句の背景を明確にしておきましょう。まず、この聖句は「預言の一部分」である、預言そのものである、ということです。聖書の他のところで、良いたよりを他の人と分かつことが励まされているということと、状況がまったく違います。これはその預言が成就している、ある特定の期間だけに当てはまるものです。そして、それは、終わりの日の真っ最中です、しかも、その中の比較的平穏な日々での話ではありません。正に迫害のさ中であるということです。投獄とか、身体的危険とか、家から追い払われるというようなことが起き得る、あるいはすでに起きているかも知れないという状況下での話です。まずこれだけを考えても、「普通の日常的な生活の中の時間の使い方」などという流ちょうなことを言っている場合ではないことが分かります。では、何に対して「まず」なんでしょうか。それはマタイの方を読むと分かります。
スライド3: ■(マタイ 24:9‐14) 「その時,人々はあなた方を患難に渡し,あなた方を殺すでしょう。またあなた方は,わたしの名のゆえにあらゆる国民の憎しみの的となるでしょう。10またその時,多くの者がつまずき,互いに裏切り,互いに憎み合うでしょう。…12また不法が増すために,大半の者の愛が冷えるでしょう。13しかし,終わりまで耐え忍んだ人が救われる者です。14そして,王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです。」マタイは、マルコが記した「まず」という言葉を省いていますが、その代わりというか、別の表現で何が先で何が後かをはっきり述べています。そうです。福音の伝達が先で、「それから」終わりがくるのです。「終わり」が来る前に、まず「良いたよりが、あらゆる国民に証しされる」ことになると預言されているわけです。では、それは、どんな方法によってでしょうか。こちらから、出向くことによってではありません。聖句によれば「呼び出される」ことによってです。「彼らに対する証しのため」に「地方法廷に引き渡され、総督や王たちの前に立たされる」と預言されています。これが、「終わりの日」に行われる「あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣
スライド4: べ伝えられる」方法として聖書が実際に述べている方法です。従って、これ以外の方法で、福音を伝える業あるいは努力は褒めるべき事ではありますが、それは預言の成就でもなければ、厳密に言うとマタイ24:14を成し遂げる事柄とは何の関係もありません。これは神の目的の中でも、終わりの日の直前、とりわけ、支配階級層の人間に、ご自分の目的をダイレクトに告げ知らせる極めて重要な意味を持つ場面となります。それゆえにこそ、その時は「あなた方が話しているのではなく,聖霊が話しているのです」と真実に言い得る者となるのです。それは、二度と行われない、神の最後の特別の彼らに対する哀れみの手を差しのべる時でもあるのです。そうした超特別の機会だからこそ、それまでにない仕方で「聖霊」が注がれることになるのです。ですから、「必ずしも、前もって証言の準備をしなくても良い」と言うより、ほとんど、そんなことはしないようにとルカの記述では言われています。■(ルカ 21:12‐15)「人々はあなた方に手をかけて迫害し,あなた方を会堂や獄に引き渡し,あなた方はわたしの名のために王や総督たちの前に引き出されるでしょう。13それはあなた方にとって証しの [ 機会 ] となるのです。14それゆえ,どのように弁明するか前もってけいこなどしないことを心に定めなさい。15わたしがあなた方に口と知恵を与えるからです。あなた方の反対者がみな一緒になっても,それに抵抗することも論ばくすることもできないでしょう。」
スライド5: ですから、会話するための話題を前もって練習しておくとか、分かりやすく人の演じる実演を観察してシミュレーションしてみることなどは、必要ないどころか、そうした態度はむしろ、神の聖霊の働きを信頼していない不信仰の現れと見なされると言っても過言ではないでしょう。とにかく聖書でそう確約しているのですから。さて、ここで、そうした「迫害」と「福音」の拡大との関連について、聖書中の例をあげてみることにしましょう。■(使徒 8:1‐5) 「その日,エルサレムにあった会衆に対して激しい迫害が起こった。使徒たちのほかは皆,ユダヤ,サマリア地方全域に散らされた。…3 だが,サウロは会衆に対して粗暴な振る舞いをするようになった。次々と家に侵入しては男も女も引きずり出し,これを獄に引き渡すのであった。 4しかし,散らされた人々は,み言葉の良いたよりを宣明しながら全土を回った。5そのひとりフィリポは,サマリア市に下り,人々にキリストを宣べ伝えはじめた。」■(使徒 11:19‐21) 「このようにして,ステファノのことで起こった患難のために散らされた者たちは,フェニキア,キプロス,アンティオキアにまで進んで行った。…その中には,キプロスやキレネの者でアンティオキアに来た人たちが幾人かおり,ギリシャ語を話す人々にも語りはじめて,主イエスの良いたよりを宣明した。21さらにまた,エホバのみ手が彼らと共にあり,信者となった大勢の人が主に転じた。」
スライド6: ■(使徒 13:50‐52) 「パウロとバルナバに対して迫害を起こし,彼らを自分たちの境界の外に追い出した。51彼らはそうした人々に向かって足の塵を振り払い,それからイコニオムに行った。52そして,弟子たちは引き続き喜びと聖霊とに満たされていた。」■(使徒 14:1‐7) 「 さて,イコニオムで,彼らは共にユダヤ人の会堂の中に入って話をしたが,その [ 力強い話し ] 方のために,ユダヤ人もギリシャ人も非常に大勢の人が信者となった。2しかし,…諸国の人たちとユダヤ人,それにその支配者たちも加わって,彼らを横柄にあしらって石撃ちにしようという暴挙が企てられた時,6そのことについて知った彼らは,ルカオニアの都市ルステラとデルベ,およびその周辺の地方に逃げた。7 そして,そこで良いたよりを宣明しつづけた。」■(使徒 26:28) …しかしアグリッパはパウロに言った,「あなたはわずかの間に,わたしを説得してクリスチャンにならせようとしている…ステファノが殉教してから、異邦人に福音が宣べ伝えられるきっかけになります。パウロは、迫害を受けることによって、他の町に逃げて、福音を伝えることができました。確かにステファノのように殉教者となる人もいれば、そのごの発展に寄与した人もいます。しかし、次の言葉を覚えて置くことができるでしょう。■(コリント第一 10:13) 人に共通でない誘惑があなた方に臨んだことはありません。しかし,神は忠実であられ,あなた方が耐えられる以上に誘惑されるままにはせず,むしろ,あなた
スライド7: 方がそれを忍耐できるよう,誘惑に伴って逃れ道を設けてくださるのです。それで、このテーマの結論を述べるに当たって、最後にこの句の接続詞の訳し方の違いをご紹介しておきましょう。「また,あらゆる国民の中で,良いたよりがまず宣べ伝えられねばなりません。」(新世界訳)「こうして、福音がまずあらゆる民族に宣べ伝えられなければなりません。」(新改訳聖書)この最初の接続詞のギリシャ語「カイ」は通常「そして」「そうして」と訳されるもので、英語では [and] です。すでに考慮してきたように、クリスチャンが法廷などに立たされるのは、「証しのため」であり、そうした事態を許されることによって成し遂げる神が用いられる手段、方法であるわけですから、「そういう風にして」「そうした方法によって」「福音があらゆる国民に証しされる」ということです。それこそが、「終わりに先立って」「まず」行われなければならない業なのです。