登録者:Ching of chings

19 「ほかの羊」とはどんな人々ですか.pdf

2010-02-05 01:32:32
アクセス数:104
タグ: 聖書 エホバの証人 ほかの羊 囲い 大群衆 地的
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■説明

「ほか」とは「律法契約」の囲い以外の事であり、「ほか」から連れて来られて「一つの群れ」にすでに入っているのに「ほか」の羊と呼ぶのは誤りです。

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■スライド内のテキスト

スライド1: 「ほかの羊」とはどんな人々ですかイエス・キリストは二つのグループを呼び寄せて一つの群れとすると言われました。      「戸口番はこの者に対して [ 戸を ] 開け,羊はその声を聴き,彼は自分の羊の名      を呼んで導き出します。自分のものをみな外に出すと,彼はその前を行き,      羊はあとに付いて行きます。      わたしにはほかの羊がいますが,それらはこの囲いのものではありません。      それらもわたしは連れて来なければならず,彼らはわたしの声を聴き,一つの      群れ,一人の羊飼いとなります」(ヨハネ 10:3,4,16)ここで注目してもらいたいのは、「導き出します」「みな外に出す」「連れて来る」と言う表現です。「一人の羊飼い」イエスの下にある「一つの群れ」は「この囲い」から出された羊と「ほか」から連れてこられた羊で構成されているということです。真の羊飼いが」「戸口番」によって「戸口」を開けられて正当に連れ出すことになった「この囲い」とは明らかに律法契約の下にあったという意味です。そしてその「囲い」から「出されました」。そして「ほか」の「羊」というのはそれ以外の場所からの人々で、当然彼らはクリスチャンです。ですから「一つの群れ」にされる前には確かに二つの場所から連れ出されました。一つはモーセの律法下つまりユダヤ人の中から、そしてもう一つは異邦諸国民の中から連れてこられてクリスチャンとなった人々です。従って、すでにクリスチャンになった人を「ほかの羊」と呼ぶのは明らかに間違いです。

スライド2: なぜなら、「ほか」は今いる所ではなく単なる出身地だからです。「他の羊」と表現するのが間違いであるというのは他方を「この囲いの羊」と呼ぶのと同じだからです。しかし双方ともそこから「出されて」いるので、その表現は間違いです。両者をワケあって出身地別に表現したいなら「ほかからの羊」と呼ぶべきです。そして他方を「この囲いからの羊」と呼ぶべきなのです。さて、そういうわけで、キリストに信仰を働かせて献身したクリスチャンたちは文字通り「一つの群れ,一人の羊飼い」と表現されることになります。しかし、ものみの塔の教理では、クリスチャンは2種類あるとされています。、いわゆる「油注がれたクリスチャン」という天の王国に入るグループと「ほかの羊」という、地上の楽園に住むことになるグループです。この2グループは、それぞれ神から見た立場も、希望も、あるいは特権も、全く異なったものですから、これをどう説明しても、この二つは決して「一つの群れ」と言えません。なぜなら、群れが一つである以上、「こちらから向こうへ」行くことができなければ「ひとつ」ではないからです。しかしこの両者は絶対に超えられない壁で仕切られています。その壁はどのくらい高い、どれほどの違いかというと、単なる比喩ではなく文字通り天と地の違いがあります。これには「ほど」という副詞すら付きません。何と何が異なるといって天と地の違いは最上級の表現で、これ以上の違いはほかに存在しないという違いです。これほど隔てられたものはありません。これがどうして同一のグループと言えるのでしょうか。「書かれている事柄を超えている」ことが明白な聖書解釈です。