登録者:Ching of chings

11 表象物にあずかる人々に関する考察.pdf

2010-01-31 11:44:50
アクセス数:170
タグ: 表象物 油注がれた者 記念式 増加のなぞ 選びは終わっていない
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■説明

14万4000人が「油注がれた者」の全数ではあり得ない聖書的根拠。

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■スライド内のテキスト

スライド1: 表象物にあずかる人々に関する考察「表象物」にあずかった人数1914 年以降の主な年の表西暦 33 年(ペンテコステ)1919 年1925 年1919192520052006200720082009144,000人(100%)1,7961 人年 人数 増加90,434 人 (63%)17,96190,4348,5248,75891059,98610,8571919 年の 17,961 人は 6 年後なので 1925 年の 90,434 人の中に含まれるとみなす。101,291 人 (70%)2009 年+72,473+234+347+881+8712009 年の 10,857 人は 84 年後なので 1925 年の人数に含まず追加とみなす。 ↑未定?年*1919 年からの増加10,857 人

スライド2: 一番多かった年は 1925 年で  90,434 人であったと記録されています。90434 人と 10857 を足すと全体の70%は何と現代までの 80 年余りの間に生まれています。近年では 900 人ほどの人が 1 年で増加しています。しかもその増加率は年々高まっています。このまま行くと後 3 年も経たないうちに合計 10 万4000 人を超えることでしょう。そうすると、西暦 33 年の最初から 1925 年までの1892年という永い年月の間にわずか4万人しか、選ばれていないということになります。しかも 1919 年の記念式では 17,961人だったので、72,473 人はたった5年の間に選ばれた人です。こうした記録さえ、足下に及ばない程の爆発的な増加があったのは、ペンテコステ直後です。その当日で、およそ 3000 人が加わり 3120 人ほどになりました。それ以来、数日のうちに男だけで 5000 人(この中に女性は含まれていない、また子供をも含めると最低でも15000 人から 20000 人はいたと考えられます)・・・と数千人単位で増加しています。当然「ネズミ算」式に増えてゆきました。4 万人を超えるのに 1 週間もかからなかったと考える十分な根拠があります。次ページの、当時の増加に関する記述の抜粋をご覧下さい。

スライド3: 使徒  1:15  「その群れの人々は全部で百二十名ほどであった。」   使徒  2:41  「バプテスマを受け,その日におよそ三千人の魂が加えられた。」使徒  2:47  「同時にエホバは,救われてゆく者たちを日ごとに彼らに加えてゆかれた」使徒  4:4 「聴いた人々のうち大勢の者が信じ,男の数は五千人になった。」使徒  5:14  「主を信じる者が,男も女も大ぜい加えられていった。」使徒  6:7  「神の言葉は盛んになり,弟子の数はエルサレムにおいて大いに殖えつづけた。」使徒  9:31  「こうして,会衆はまさに,ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全域にわたって…。」使徒  11:21 「患難のために散らされた者たちは,フェニキア,キプロス,アンティオキアに                まで進んで行った…信者となった大勢の人が主に転じた。」使徒  14:1  「イコニオムで…ユダヤ人もギリシャ人も非常に大勢の人が信者となった。」使徒  14:21 「テルベに…良いたよりを宣明してかなりの大勢の弟子を作った‥・。」使徒  21:20 「あなたが見るとおり,ユダヤ人の中には幾万もの信者がいます‥・。」コロサイ 1:6  「その良いたよりはあなた方のところにもたらされましたが,世界中で実を結                んで増大しているのであり…。」

スライド4: さて、神の召しは、いつの段階で決まるのでしょうか。バプテスマを受けていない段階の人を召すことはありません。イエスご自身の時以来、「油そそぎ」は水から上がった直後です。つまり油注がれたクリスチャンは、そのバプテスマの時から、そうした立場に召されています。そしてそれは変わることはありません。「召し」が取り消されることがあるとすれば、それは、その人が信仰を捨て、反キリストになり、悔い改めず、その状態に留まり続けるかぎり、その召しは取り消されていますが、忠節である限り、その天的召しが他のものに変わったりすることはありません。次の聖句が述べる通りです。(ローマ 11:29) …神の賜物と召しとは,[ 神 ] が悔やまれる事柄ではないからです…( 神の賜物と招きとは取り消されないものなのです )[ 新共同訳 ]では、その召しはいつまで続けられるのでしょうか。「数が揃うまで」です。(ローマ 11:25) …,諸国の人たちが入って来て [ その人たちの ] 数がそろうまで…つまり、元々、イスラエル人だけに差しのべられた、天の王国を受け継ぐ「召し」は、その座席数というか一定の枠を満たすことが、できなくなった故に、異邦諸国民から選ばれることになったということです。これはイエスが語られた、「王の婚宴」のための席が埋まらなかった故に、外に出てだれかれなく連れて来るように」言われた、たとえ話にも書かれています。天への召しを受けるかどうかは、人の霊性や信仰の強さ、業の多さなどと何の関係もありません。

スライド5: 西暦 33 年以降、現代まで、数が揃うまで、先着順で選ばれてきました。この座席数が 14 万 4 千あるとされているわけです。確かに、厳密に言うと、召しを受けていることと「証印」を押されることとは同一ではありません。しかし、聖書的な資格に適っている限り、つまり「召し」を受けた人が排斥されたのでない限り、「証印」を押されることになります。そして、この天的クラスの選びは、まだ終わっておらず、依然続いていると言う変更が、ものみの塔2007 年 5/1 で明らかにされました。「したがって,天への希望を抱くようクリスチャンを召すことがいつ終わるかに関して,明確な時を述べることはできないように思われます。真の油そそがれたクリスチャンは,自分は大群衆の中の経験ある人々が持つ以上の特別な「洞察力」が与えられている,と考えることもありません。さらに,ほかの羊の人たちより必然的に多くの聖霊を受けている,とも考えません。・・1 世紀の油そそがれた男子の中にも長老や奉仕の僕として仕える資格のなかった人がいたことを思い起こします。油そそがれたクリスチャンの中には,霊的に弱い人さえいたのです。」-塔07  5/1

スライド6: 「召し」を受けていた人が信仰を捨てた結果、新たに補充された人がいたとしても、数としては差し引き0で、数字的には変わりません。しかし、増えているということは、、新たに「召し」を受けていると言うことです。前に挙げた表から分かるように、2009 年だけでも、この年にバプテスマを受けた人々(276,233 人)のうちの 871 人は、天的召しを与えられたと言うことです。その前の年は 289,678 人の新たに献身した人のうち 881 人は油注がれたクリスチャンでした。さて、発足以来、「先着順」だった神の召しがいつの間にか「選抜性」になっていることに、聖書はもちろん、何も述べていませんが、ものみの塔も、これについて公式なコメントは一切述べていません。さて、この「選び」はまだ終わっていない。という変更は、他にも重大な問題、疑問を数多く生み出すことになりました。そのうち、最も深刻な問題は、「選び」はまだ終わっていないといことは、言い換えれば、「証印」を押される業もまだ終わっていないと言う意味だからです。(啓示 7:2‐3) …み使いが,生ける神の証印を携えて上って行くのを見た。彼は,地と海を損なうことを許された四人のみ使いに大声で叫んで 3 こう言った。「わたしたちが,わたした

スライド7: ちの神の奴隷たちの額に証印を押してしまうまでは,地も海も木も損なってはならない…2010年1月現在、「証印」を押す業は、続行中であり、終わっていません。ですから当然、「地も海も木も損なう」ことは許されていません。そして、これは 7 つのどのラッパも吹かれる前の、第 7 の封印のさらにひとつ前の第 6 の封印が解かれて、見られる記述です。第 7 の封印を解く前に、すでに 14 万 4 千人全員が証印を押されたと聖句は述べています。少なくとも、第 5 のラッパの時までにはどうしても終わっていなければなりません。なぜなら、「証印」の「ない」人だけを損なう災いだからです。(啓示 9:4) …ただ,額に神の証印のない人々だけを損なうようにと告げられた…従って、間違いなく「第 5 のラッパ」はまだ吹かれたはずはありません。「ラッパ」は一つのラッパに一つの災いが対応して、順番に一つずつ、前の出来事(ラッパによって実際に生じる影響)が過ぎ去ってから、次のラッパが吹かれます。(啓示 9:12) …一つの災いが過ぎた。見よ,これらのことの後なお二つの災いが来る。(啓示 11:14) …第二の災いが過ぎた。見よ,第三の災いが速やかに来る。これは第 7 のラッパが吹かれる直前の叫びです。

スライド8:



スライド9: ですから、第 5 が過ぎ去ってなければ、なおのこと第 7 のラッパは吹かれてはいません。絶対そうでなければいけないはずですが、「啓示」の書籍の 26 章によれば、第 7 のラッパが吹かれることによって上がる声である「世の王国はわたしたちの主とそのキリストの王国になった」という出来事が、1914 年に成就したと記されています。確かに聖書の啓示の書は、この第 7 のラッパの時点で「王国が誕生する」と述べています。そしてそれは封印が全て開かれた後、順にラッパが吹かれ最後のラッパが吹かれた時ですから、「王国が誕生」する時点で第 6 のラッパはそのときより前に起き、過去のものとなっていなければなりません。しかし、これらのラッパが吹かれることによって地に生じるとされることが1914以前に起きていたという歴史的事実はありませんし、ともかく、2010 年でさえまだ「証印」も押され終わっていないのですから、その後の出来事が起きているはずはありません。従って今から 96 年も前に、第 6 のラッパの出来事まで終わっていると言う上の「啓示」の書籍に書かれている、1914 年というのは、明らかに何かの勘違いでしょう。